設楽氏陣屋
設楽氏館(したら・設楽氏陣屋とも★埼玉県加須市中央) 『埼玉の中世城館跡』(第2版)によれば、江戸初期の陣屋で、場所を「中央1-1」とし、現況は宅地・台地だとする。 設楽家は二代貞通のときに三河国設楽郡(愛知県新城市)の川路城主となり徳川家康の家臣として仕えた(『香積寺説明板』)。 設楽甚三郎貞清の代で幕府の直参旗本に列し、天正十八年の徳川氏による家臣団への知行割によって貞清には加須村・礼羽村・馬内村の知行を与えられた。その子貞代の時には2150石の大身となった(『加須市史』)。 はじめは礼羽に陣屋を構えていたが、後に加須に移り、明治の初めまで蔵屋敷として残っていた。陣屋は加須駅の北西に通称陣屋通りと呼ばれる通りの西側にあり2000坪の広大な敷地であった(『香積寺説明板』)。 現地に遺構は残されていないようである。香積寺(加須市馬内684)に設楽家累代の墓所が眠っている。 |
(加須駅の北西の通称陣屋通りと呼ばれる通り)
(【左写真】香積寺に設楽家累代の墓所が眠っている。【右写真】現地説明板。)
(【左写真】墓所への案内柱。【右写真】設楽家累代の墓。)
(2015年4月27日訪問)