礼羽氏館
礼羽氏館(らいは★埼玉県加須市礼羽) 『埼玉の中世城館跡』(第2版)によれば、鎌倉時代の館で、場所を「礼羽710」とし、現況は寺院、自然堤防だとする。 礼羽氏について『加須市史』は、「『吾妻鏡』建保元年(1213)5月2日の条、和田義盛が挙兵し幕府を襲撃した。義盛三男義秀の乱入を防ごうとした数人の武士が義秀に討たれた。その武士の中に礼羽蓮乗の名がみえる。礼羽の番場・早道場の耕作名は礼羽氏に関係する遺跡であろうといわれている。」と記している。 『埼玉苗字辞典』によれば礼羽氏は野与党の一族で、礼羽次郎の居館跡があったという。『埼玉の中世城館跡』は場所を特定しており、そこには旧家が存しているが、古い時代の館であり、所在地は不明で遺構も期待できない。なお、旧家から少し離れた道端に「伝承 礼羽館」との柱も立っている。 (参考サイト『城跡ほっつき歩き』) |
(『埼玉の中世城館跡』が居館跡とする地。)
(【左写真】旧家がある。「石皿」の柱が立っている。【右写真】「石皿」の現地説明板。)
(2015年4月27日訪問)