戸崎城

戸崎城(★埼玉県加須市戸崎)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)によれば、年代未詳の館で、場所を「加須市礼羽」とし、現況は宅地、自然堤防だとする。誤記が含まれていそうである。

同第1版では「騎西町戸崎」を所在地とし、年代を「鎌倉時代か」として、『埼玉県史3』を出典とする。これも不十分な記載といえよう。

『新編武蔵風土記稿』は、「小名城下に城跡の形ありて、廻りに土手とおぼしき跡見ゆ。戸崎右馬允といふものゝ居蹟なりと云ふ」と記し、江戸時代にも土塁が残っており、戸崎右馬允の居城だとする伝承を残している。

戸崎右馬允は、「寿永三年三月十八日、伊豆国に進発する頼朝の御前の射手に戸崎右馬允国延が定めらる」「文治元年十月二十四日、横山、西、小河、戸崎右馬允国延、河原、仙波等は頼朝の勝長寿院落慶供養に供奉」と『吾妻鑑』に書かれている。

『武蔵国郡村誌』は「臨済宗竜宝寺。其城跡へ当寺を創建すと云」として、城の一部に竜宝寺を建立したとするがその根拠は不明である。

このとおり歴史の判然としない城だが、明治初期には厳然とした土塁が残っていた。しかしそれも昭和期に消滅した。

平成7年の発掘調査では、堀跡、土塁の痕跡、平安時代の土器が出土したという(『諏訪神社説明板』)。

現在遺構は見られない。竜宝寺の東側の諏訪神社(創建不明)には城に関する図などが説明されている。

 

 

(【左写真】明治初期の迅速地図。土塁と虎口らしき記載がある。【右写真】諏訪神社の説明板。)

(ここが土塁、虎口のあった場所。

 

(【左写真】竜宝寺。【右写真】竜宝寺の説明板。方形状の遺構が広がっていると記載されているが・・・。)

(初代伊勢の海の墓がある。)

 

(【左写真】諏訪神社の遠望。【右写真】諏訪神社の本殿。)

(諏訪神社から土塁のあった場所を見る。)

  (2015年4月27日訪問)

 

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