明願寺氏館
明願寺氏館(★埼玉県加須市平永) 『埼玉の中世城館跡』(第2版)によれば、鎌倉時代の館で、場所を「志多見平永270」とし、現況は寺院、自然堤防だとする。 明願寺氏の館だというが、『埼玉苗字辞典』にも掲載は無く詳細不明。 『加須市の郷土史』には「志多見平永の明願寺氏館跡は白山社付近といわれ、弘安三年の板碑は加須市内最大のものであり、明願寺氏の勢力が知られる。口碑伝説として西域防衛軍として出征した明願寺氏が高麗軍と戦って、弘安四年六月の元寇海戦の夜襲戦で名誉の戦死を遂げたと云われる」と記されている。 加須市平永の白山神社、その南側の蓮生山金道院 観福寺が跡地とされている。水田に面した微高地になっているが遺構は無い。 金道院境内には立派な板碑が残されており、鎌倉時代中期 弘安三年(1280)の紀年銘がある。 |
(【左写真】蓮生山金道院 観福寺。【右写真】遠望。水田に浮かんでいる。北側には白山神社がある。)
(【左写真】境内の板碑。これほど大きいものは滅多に見られない。明願寺氏に関するものだろうか?【右写真】現地説明板。)
(2015年4月27日訪問)