高柳氏館

高柳氏館(★埼玉県加須市上高柳)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)によれば、鎌倉時代の館で、「高柳」を所在地とし、現況も不明とされる。
同第1版では「高柳」を所在地とし、年代を「平安~鎌倉時代」として、『埼玉県史3』『吾妻鑑』を出典とする。

高柳氏は野与党の一族で当地より興ったという(『武蔵七党系図』)。

『新編武蔵風土記稿』は、「文永の頃(1264-75)、高柳弥五郎幹盛と云ふもの住せし故、此の唱ありなど、ものに見ゆれど、土人は伝へず」と記している。

『吾妻鑑』には文永二年(1265)五月、高柳弥次郎幹盛が所領について訴えを起こしたと書かれており、『吾妻鑑』のほか『長禄寛正記』に高柳一族の名が散見される。
『加須市史』は「高柳氏から相次いで武術にすぐれた武士が出ていたことが知られる」と評している。

埼玉県加須市上高柳が跡地とされているが、館跡の場所を特定することはできない。

(参考サイト『儀一の城館旅』)

 

埼玉県加須市上高柳が跡地とされているが、館跡の場所を特定することはできない。)

  (2015年4月27日訪問)

 

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