河口氏館
河口氏館(★埼玉県加須市川口) 『埼玉の中世城館跡』(第2版)によれば、鎌倉時代の館で、「川口550」を所在地とし、現況は寺院・自然堤防、遺構は無いとする。 暦仁元年(1238)、将軍頼経の上洛のとき武蔵武士多数がしたがったが、その先陣の16番に河口八郎太郎が列している(『吾妻鏡』)。 『加須市史』は、加須市大桑川口の在地武士が地名により河口を称したものと推察し、当地は利根川の渡河地点として交通の要衝であり、河口氏が重視されたものとする。また同地の西蓮寺は河口氏の創建という。 『新編武蔵風土記稿』は、武蔵七党の河口氏の子孫は多摩郡横山宿(八王子市)に転居して永続したものの、後北条氏のために所領を失って、近郷に蟄居し帰農したとしている。 西蓮寺付近は館跡だとされているが、遺構はまったく残っていない。 (参考サイト『城跡ほっつき歩き』『儀一の城館旅』『帝國博物学協会城郭研究部』) |
(西蓮寺付近は館跡だとされているが、遺構はまったく残っていない。)
(2015年4月27日訪問)