割目堀の内

割目堀の内(★埼玉県加須市割目)

『埼玉の中世城館跡』『日本城郭大系』等に記載は無い。

『加須市史』には「中世に清久次郎、清久山城守などの住んだ清久(現・久喜市)に隣接して、割目堀の内がある。遺構・伝承等はないが、清久氏の一族が居館を構え、周辺の所領の経営にあたっていたのではないだろうか。」と記されている。

『久喜市史』には「清久氏の館は現在の大字清久字白幡にあったとされる。かつて、その周囲は湿地帯であり、『新編武蔵風土記稿』は清久次郎・清久山城守の家系の城跡としているが、現在、遺構は見られない。」と記されている。

清久氏は鎌倉時代の武蔵武士で、藤原秀郷の流れ大河戸氏の一族だとされている(『埼玉大百科事典2』)。

“堀の内”の地名は、清鏡寺の周辺に位置するらしい。周囲は宅地化されており、城館の名残りは見られないが、やや複雑な区画・道路がそのよすがを偲ばせているのかも知れない。

(参考サイト『城跡ほっつき歩き』『儀一の城館旅』)

 

 

清鏡寺の周辺に位置するらしい。周囲は宅地化されており、城館の名残りは見られない。)

  (2015年4月27日訪問)

 

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