飯島氏館

飯島氏館(★埼玉県越谷市大成町7丁目)

『埼玉苗字辞典』によれば、この地は「埼玉郡見田方村字飯島」「大相模郷飯島村」と称していたという。同書は飯島氏の起源について記していない。

現地碑には信州飯島氏(飯島城)の一族で、清和天皇(858-876年)を祖とし、源経基の子孫に由来するという。その後、徳川家康に従った飯島久兵衛がこの地を開拓したという(『飯島氏墓所由来碑』)。

当地は、飯島久兵衛の所有が多かったのでこの地名になったとも、元荒川をはさんで中島と並んでいることから川にちなんだ名かも知れないともいう(『越谷市の史蹟と伝説』)。

なお、向畑合戦に関連して、「飯島には昭和35年頃まで塚が残っており、それ以前は八つの塚があったとされる。これらの塚は昔この辺で戦があり討死した武士を葬った墓と言い伝えられていた。由緒著聞書の中では、この辺で小作田隼人が忠死しており、高賢上人は亡骸を集めて大念仏をしている。」という(『越谷の中世城館』)。

いまでも飯島との地名が残っているが氏館の場所は不明である。付近に累代の飯島氏の墓所があって、由来も記されている。

 

 

(【左写真】飯島家墓所。【右写真】墓所にある由来碑。)

(飯島の地。多くの中世武士と同様に河川沿いに位置している。)

  (2015/2/17、4/29訪問)

 

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城と古戦場 

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