安国氏館

安国氏館(★埼玉県越谷市大泊910

安国氏は、埼玉県越谷市を中心に行われた向畑合戦において名が見える。永正十八年(1521)正月、八条城の八条惟茂が、向畑城を攻めるべく、自身で千人を引き連れて本陣として、先陣に青柳外記、小作田隼人、柿木小膳ら850人、二陣に大相模飛騨守、西脇左近右衛ら500人とともに別府郷へ出陣した。
ここに向畑城の新方勢が夜討ちをかけ、別府氏、青柳氏、柿木氏らが総崩れとなった。
八条惟茂の叔父・大曽根上野介も
大相模へ出陣しており別府へ駆けつけて新方勢の背後を襲って優勢になった。しかし、新方勢の安国浄恩の兵が大曽根上野介の背後を攻めて大乱戦となった。
小作田隼人が身代わりとなって討死して八条惟茂はからくも八条郷に逃げ帰ったという。八条勢は850余人、新方勢は324人が討死したという(『大松村栄広山由緒著聞書』(清浄院所蔵)『武蔵七党系図』)。

安国氏は越谷市に現存する安国寺に比定されており(『岩槻市史』)、当地でも僧兵が活躍していたということであろうか。

安国寺は、熊谷直実が草庵を結び布教につとめたのが起源とされ、本尊の阿弥陀如来は京都から笈に負って当地に安置されたものと伝えられる。
その後、紀州国熊野大泊村安國寺の住職誓譽専故人が当地を訪れ、熊谷直実の故郷と知り、寺の荒廃をなげき、康安元年(
1361)寺院を建立し、故郷大泊と同地名のもとに当寺を安國寺と称したといわれる(越谷市・越谷市観光協会『郷土越谷散策マップ』)。

 

 

(【左写真】安国寺。遺構は見られない。【右写真】歴史の深い寺のようである。)

  (2015/6/18訪問)

 

戻る

城と古戦場 

inserted by FC2 system