佐枝氏館

佐枝氏館(さえだ★★埼玉県さいたま市岩槻区日の出町9-67

『埼玉の中世城館跡』(第2版)によれば、戦国時代の館で、「日の出町9-67」を所在地とし、現況は寺院、台地で、遺構は堀と記している。

佐枝氏は、岩槻の武士で、斎田とも称した。

『鎌倉黄梅院文書』には太田道灌が佐枝大炊助に与えた古文書があり、『上杉家文書』には「大永五年三月二十三日、扇谷上杉朝興の使者佐枝若狭入道」と記されている。

『新編武蔵風土記稿』は「龍門寺は天文十九年斎田若狭守開基せりと云ふ。若狭守が法謚を玉峯道全上座と号し卒年は伝へず。按に足立郡花又村宝性寺の開基斎田左兵衛尉頼康・大永元年七月二十三日卒せりと、彼寺の伝へに頼康は岩槻の城主雅楽頭某の子なりと、されど岩槻は其頃太田氏の居城にして、彼家系にも雅楽頭と云をのせざれば、恐くは若狭守も頼康の一族にして太田氏の旗下なりしならん。今も太田家に斎田氏の家人あり」と記している。

龍門寺(竜門寺)が館跡とされている。境内に土塁らしきものが点在している。ただしこの寺院は入境に厳しいルールが設けられているので、訪問には十分な配慮が必要である。

 

 

(【左写真】龍門寺。かたく門は閉められている。【右写真】説明板。)

 

(【左写真】寺の入口の境内図。土塁の記載がある。【右写真】境内の石碑。縁起が彫られており、「若狭守館跡」と記す。)

 

(【左写真】本堂。独特な雰囲気の寺院だった。【右写真】本堂裏の土塁とされている場所。明瞭ではない。)

 

(本堂の西側の土塁。なかなか良く残されている。境内図によれば一部復元が含まれているらしい。

  (2015/6/18訪問)

 

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