箕勾氏館

箕勾氏館(みのわ★埼玉県さいたま市岩槻区箕輪東)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)によれば、平安末期の館で、「箕輪東」を所在地とし、現況は宅地・山林、台地で、遺構は無しと記している。

箕勾(箕輪)氏は、埼玉郡箕輪村(岩槻市)より起った武蔵七党野与党の一族だとされる(『武蔵七党系図』)。箕勾経光が当地に住して、その地名を称したのに始まるという(『野与党系図』)。
建久元年(
1190)の源頼朝の上洛に際して、隋兵として箕勾経光、渋江経遠兄弟が同行した(『吾妻鏡』)。 

戦国期には古河衆に箕勾氏の名が見られる。『永禄三年関東幕注文』に「古河衆、簗田・水あをい三本たち、簗田家風・箕勾大炊助・うりのもん」と記されているが、同じ一族なのかは不明である。

『岩槻市史』は「箕勾氏の本貫箕輪郷は、綾瀬川の東岸、渋江郷の西方に位置する。野与党一族の分出によってその地に土着したものであろう。」と記している。

氏館の地は特定されていない。『埼玉の中世城館跡』は久伊豆神社周辺をその比定地としている。

 

(【左写真】埼玉県さいたま市岩槻区箕輪東の久伊豆神社【右写真】神社背後には崖になっており丘陵地であることが分かる。)

埼玉県さいたま市岩槻区箕輪東の地。居館の場所は不明である。)

  (2015/6/18訪問)

 

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