小早川秀秋陣跡
関ケ原の戦い
小早川秀秋陣跡(松尾山城)(岐阜県不破郡関ヶ原町松尾) 応永年間(1394〜1428) 小守護・富島氏城を築く(築城史料初見) 永禄十二年(1569) 織田信長に帰属 元亀元年(1570) 浅井長政修築 天正元年(1573) 信長、浅井氏討伐後、不破光治を警備に当たらせる 天正四年(1576) 境城の使命終わる 天正七年(1579) 廃城 慶長五年(1600) 小早川秀秋陣所とする 秀秋は西軍として、一万五千の兵を率いてここ松尾山に出陣してきた。朝から傍観を続けた秀秋は、家康に催促鉄砲を打ち込まれ、遂に意を決して友軍の大谷吉継隊を攻め滅ぼした。東西両軍の懇願に、秀秋は複雑な事情のなかで悩み抜いた挙句の果て、豊臣家に反旗をひるがえしてしまい、東軍を勝利に導いた(『現地案内板』)。
片道30分程度の登城はなかなか辛いものがあるが、秀秋はもっとしんどかったであろう。裏切りは後世に汚名を残すことになったが、彼の立場は複雑な状況であったことは確かである。 |
(跡地の航空写真)
(大谷吉継陣跡碑)
(【左写真】主曲輪を囲う土塁 【右写真】堀切跡 )
(城跡遠望)