慈恩寺館
慈恩寺館(じおんじ★埼玉県さいたま市岩槻区慈恩寺字山口) 『埼玉の中世城館跡』(第2版)によれば、戦国期の館で、「慈恩寺山口610」を所在地とし、現況は宅地・山林、台地で、遺構は土塁・堀と記している。 根拠は不明だが、小田原の役の際の岩槻城攻めで、徳川家康が慈恩寺に陣を敷いていたといい、その際の陣遺構の可能性が指摘されている(『埼玉の中世城館跡』)。しかし家康は小田原を離れておらず、当地に進軍したのは本多忠勝らである。 なお、慈恩寺は天正十九年(1591)徳川家康から寺領100石を寄進されている。 また一説には「慈恩寺の木戸」ともされるが詳細は分かっていない。 近年まで二重の土塁が残っていたらしいが、現在は宅地化が進んで、すべて破壊されたようである。 (参考サイト『帝國博物学協会城郭研究部』) |
(現在は宅地化が進んで、すべて破壊されたようである。)
(2015/6/18訪問)