関根氏館
関根氏館(★埼玉県さいたま市岩槻区裏慈恩寺) 『埼玉の中世城館跡』(第2版)によれば、戦国末期の館で、「裏慈恩寺上手」を所在地とし、現況は畑、台地で、遺構は無しと記している。 『新編武蔵風土記稿』は「当村の名主なり。先祖関根織部勝直は、広沢尾張守重信の二男にして、太田氏房に従ひ、後高野山に入りて死す。勝直の子大炊助満親は幼年より隣村上野村宝性寺に入り、成長の後民間に下り、慈恩寺村に移り、慶長の頃表慈恩寺、及び当村、且つ花積村等三村の内にて数十石の地を開発し、元和八年二月十二日死す。」と記す。 『新編相模風土記稿』は「天正十八年七月十二日豊臣秀吉は、北条氏直を紀州高野山に送る。太田十郎氏房、広沢尾張守重信・弟関根織部勝直等長臣三十人、従て共に高野山に行く」と記す。 広沢尾張守・弟関根織部は、その後、家康の子越前福井藩松平秀康に仕えたという。関根織部の高野山死亡説は誤りとされる(『埼玉苗字辞典』)。 阿弥陀堂の北側辺りが館跡とされる(『埼玉の中世城館跡』)が、遺構はまったく残っていない。 (参考サイト『帝國博物学協会城郭研究部』) |
(阿弥陀堂の北側辺りが館跡とされるが、遺構はまったく残っていない。)
(2015/6/18訪問)