江ヶ崎城
江ケ崎城(★埼玉県蓮田市江ケ崎) 『埼玉の中世城館跡』(第2版)によれば、室町時代の館で、「黒浜江ケ崎1964」を所在地とし、現況は宅地・台地、遺構は無しとする。 同1版によれば、文献・記録などは無いが、伝承では野与党所属の鬼窪尾張守繁政の居館、その先祖は鬼窪六郎定綱であるという。鬼窪氏の系譜は明らかではないが、正平七年(1352)足利尊氏が弟直義追討のため関東へ下向した際、高麗、渋江氏などと加わった鬼窪弾正左衛門尉、同左近将監の名が見えるが、江ヶ崎城の鬼窪氏とも関係があるという。 『ふるさと歴史探訪』(中里忠博著)によれば、築城は鎌倉時代で、白岡を本拠とした武蔵七党野与党の支城と推認され、昭和39年10月5日埼玉県指定史跡になっている。昭和33年発掘調査(学習院大学)では鎌倉末期の陶器、曲げ物など出土。城域は6~7ヘクタール、館跡は2ヘクタールで二重、一部三重の土塁に囲まれ、外側に堀をめぐらしていた。現存するのは土塁の一部と堀の一部で瑞穂団地と石川多蔵氏の間に残っている。 セブンイレブンの脇に城跡碑があり、その北側の団地が城跡とされる。瞥見の限りでは遺構は残されていない様子だった。 (参考サイト『城跡ほっつき歩き』『帝國博物学協会城郭研究部』) |
(【左写真】セブンイレブンの脇に城跡碑がある。【右写真】その脇にある表示。)
(【左写真】城跡の「みずほ団地」。【右写真】土塁と堀が残ったとされる場所。すでに湮滅しているようだ。)
(城跡のみずほ団地の案内図。)
(2015/8/22訪問)