伊奈城

伊奈城(伊奈陣屋、伊奈氏屋敷とも★★埼玉県北足立郡伊奈町小室字丸山)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)によれば、戦国末~江戸初期の城で、「小室丸山」を所在地とし、現況は宅地・畑・山林、台地で、遺構は堀・障子堀、土塁・郭・馬出と記している。県指定史跡。

天正十八年(1590)関東郡代伊奈忠次は、この台地に陣屋を構え、関東地方の幕府直轄地を支配する拠点にした。寛永六年(1629)に赤山陣屋に移すまで、支配の中心となっていた。

屋敷跡の規模は東西350m、南北750m、陣屋が構えられたころの様子は明らかでないが、当時を偲ばせる土塁や堀が各所によく残されているほか、見通しを悪くするためにわざと折り曲げた道などが現存し、「表門」「裏門」「蔵屋敷」「陣屋敷」などの呼称も伝承として残る。「裏門跡」と伝えられるところでは、近年の発掘調査によって虎口が存在し、幅5m、深さ2mの堀があり、その中には障子のような仕切り(畝)が作られた「障子堀」が見られ、戦国時代の築城技術が良くあらわれている(『現地説明版』)。

かなり大規模な陣屋だったようだが、遺構は残片的にしか残っておらず、全体像は把握できない。しかし、一部ながら大規模な土塁・堀が見られ、説明版も充実しており満足できる史跡である。ただし、史跡指定にあたって住民とトラブルがあったらしく、訪問には十分な配慮をしたい。 

 

 

(【左写真】表門と伝わる場所。水堀らしきものが林の中にある。【右写真】二の丸とされる場所。説明板や石碑がある。)

 

二の丸付近の土塁。遺構なのだろうか?)

 

屈折している道。往時の名残りだとされる。右は裏門とされる付近。)

 

(【左写真】裏門のあたりの堀と土塁。その規模が圧巻で、一級品の遺構である。【右写真】付近の告知板。訪問には配慮が必要だろう。)

 

(【左写真】裏門の西側の平場。【右写真】ここから障子堀が発掘されたという。いまは埋め戻され雑草の一面。)

 

  (2015/11/22訪問)

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