春日山館

春日山館(★埼玉県北足立郡伊奈町内堀)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)によれば戦国末の館で、「小針新宿1410」を所在地とし、現況は宅地・山林・畑、台地で、遺構は無く、「内堀」が関連すると記している。

新編武蔵風土記稿』の小針内宿村条に「当村古は新宿村と一村なりしよし、其頃は小針村とのみ唱へしならん。小名堀ノ内は、小名宿より少しく東の方を云、昔春日下総守景定か陣屋の構堀ありし所なりと云。陣屋跡は村の東にあり、小名を春日山と云、春日下総守景定が陣屋跡なりと、今は村民居住の地となれり」と記されている。

埼玉新都市交通伊奈線内宿駅付近が館跡らしいが場所は特定できない。桂全寺の墓所はよく整備されている。

(参考サイト『城跡ほっつき歩き』)

--伊奈春日氏について--

『春日氏家譜』(『寛政重修諸家譜』)には、「中納言長良が孫の飛騨判官代為孝がはじめて春日を称す。
末裔の春日行光は北条早雲に属し某年武蔵国岩槻において死す。春日景定は岩槻の城主太田三楽がもとにあり、のち北条氏政、氏直、氏房に属す。氏房卒するの後、東照宮に仕え、千五百石を賜ふ。元和元年七月四日死す。年七十五、法名“不安”。
弟与兵衛宗定は北条氏政、氏直に仕え、その弟衛士之助定勝は北条氏政に仕え、天正十八年小田原にて討死す」と記されている。

新編武蔵風土記稿』には「桂全寺は景定を開基とす、法名一京院桂全林照居士・元和二年七月四日卒すと云う」と記されている。

桂全寺の五輪塔に「春日祖従四位上総州太守藤原行忠朝臣・一京院殿桂全林照大居士・天文二年癸巳十月初四日」、同寺の位牌に「一京院桂全林照居士・天文二年十月四日・春日下総守景定」とあり、系図を含めて異同がみられる。

どれが史実かは不明である(『埼玉苗字辞典』)。 

 

埼玉新都市交通伊奈線内宿駅付近が館跡らしいが、場所は特定できない。

 

(【左写真】春日氏開基の桂全寺。【右写真】春日氏墓所。)

 

  (2015/11/22訪問)

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