安達館

安達館(★埼玉県鴻巣市糠田)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)は、鎌倉時代の館跡で、「糠田1342」を所在地とし、現況は河川敷で、遺構は無しと記している。

『新編武蔵風土記稿』は、「旧跡殿ノ内出、村の中程にあり、藤九郎盛長の居跡と云伝ふ。放光寺、相伝ふ当村は昔盛長が領地なりしゆえ、其頃当寺を創立し且自作の像を残して永く祈願所に定めしと、此説おぼつかなし、それをいかにと云に武家評林諸家大系図等に、盛長を安達藤九郎と載たり、安達は陸奥国の郡名なれば足立とは自づから異なれり、殊に盛長の子孫景盛も始は安達を名乗りて後年秋田城介と改号すれば奥羽の地を領せしこと論なかるべし。思ふに安達、足立唱への同じきより、かかる附会の説はおこりしならん」と記している。

安達 盛長(あだち もりなが)は、平安時代末期、鎌倉時代初期の武将。鎌倉幕府御家人。鎌倉時代に繁栄する安達氏の祖で、源頼朝流人時代からの側近である(ウィキペディア)。

糠田の放光寺は盛長の開基とされ、境内から中世の壺が発掘されている。現地説明板には「中世初期にこの地を拠点に活躍した有力者がいたことを物語っていよう」としている。

跡地は特定されていないが、放光寺の周辺だろうと推認されている。

参考サイト『城郭図鑑

 

 

(【左写真】糠田の地。館跡は所在不明。【右写真】「糠田屋敷」とのバス停。いつの時代に由来する地名なのだろうか?)

 

(【左写真】放光寺は盛長の開基とされる【右写真】安達氏の墓所が整備されている。)

(現地説明板

 

  (2015/12/30訪問)

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