箕田館

箕田館(みだ★埼玉県鴻巣市箕田)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)は、平安末期の館跡で、「箕田九右衛門」を所在地とし、現況は畑、台地で、遺構は無しと記している。

嵯峨源氏箕田氏の発祥の地とされている(『埼玉苗字辞典』)。

『新編武蔵風土記稿』は、「八幡社辺に屋敷跡あり、之を六孫王経基の陣所とも、頼義の陣所とも、又源仕の居跡也とも称す。按ずるに、仕は大納言昇の子にして従五位下に任じ、箕田武蔵守と称し、其の子箕田源次充は武蔵守経基の臣となり、充の子源五綱も当八幡社に住して箕田を名乗りしが、後頼光に仕へて摂津渡辺に移りしより渡辺を氏とす」と記している。

『埼玉苗字辞典』によれば「三は未(み)の佳字にて、未(ひつじ)は渡来人の総称を羊(ひつじ)と云う。田は郡県・村の意味。渡来人羊族の集落を三田、見田、美田、御田、箕田と称す。」という。

氷川神社の説明板には「源士を始めとする源家三代館は氷川八幡社の北側にあったと伝えられ、現在でも周辺は殿山と呼ばれている。しかし、かつてここに館があったことを偲ばせるものは見当たらない」と記されている。

氷川神社から満願寺の周辺が館跡とされているが、場所は特定することができない。

(参考サイト『城跡ほっつき歩き

 

 

(【左写真】氷川八幡社。【右写真】神社には説明板が充実している。館についてもわずかに記載されている。)

 

  (2015/12/30訪問)

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