鴻巣御殿

鴻巣御殿(★埼玉県鴻巣市本町4)

鴻巣御殿は文禄二年(1593)年、徳川家康によって鷹狩や領内視察などの宿泊や休憩所として建てられ、その敷地は一町四反歩(約1,4ヘクタール)に及んだ。
その後、秀忠、家光の三代に渡って将軍家の鷹狩の際の休泊所として利用されたが、寛永七(1630)年頃を最後として以後使用されなくなった。
明暦三(1657)年の江戸大火後は、その一部を解体され江戸城に運ばれ、天和二(1682)年頃には残りの建物も腐朽して倒壊し、元禄四(1691)年には御殿地に東照宮を祀り除地とした。
その東照宮も明治三十年代に鴻神社に合祀され、旧御殿地はその後民有地となった。

最近まで鴻巣御殿の比定地も明らかでなかったが、平成6年の試掘調査によってその一部が確認された。鴻巣御殿は「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)に描かれ、その様子を知ることが出来る。

JR鴻巣駅近くの目立たない裏路地に祠があり、説明板が設置されている。遺構は見られない。

 

 

「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)の鴻巣御殿

 

(【左写真】殿の入口。「東照宮」との石碑があるが非常に目立たない。【右写真】跡地。東照宮が祀られている。)

 

  (2015/12/30訪問)

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