藤堂高虎・京極高知陣跡
関ケ原の戦い

藤堂高虎・京極高知陣跡(岐阜県不破郡関ヶ原町関が原)

藤堂・京極隊は、ここ中山道の南に位置する柴井に陣し、松尾山や山中村などの西軍に備えた。
ところが、
小早川秀秋隊の寝返りで戦況は一変した。大谷吉継隊と小早川隊との壮絶な死闘の真っ只中へ、本両隊が突入し、これに呼応した脇坂隊らの攻勢も加わり、大谷隊は壊滅に追い込まれていった(『現地案内板』)。

陣所跡は関ヶ原中学校の敷地内で、近くに西首塚があった。


◎西首塚

関ヶ原合戦戦死者数千の首級を葬った塚である。
この上に江戸時代から十一面観世音及び馬頭観世音の堂が建てられ、附近の民衆の手によって供養がされている(『現地案内板』)。

(跡地の航空写真)

(藤堂高虎・京極高知陣跡碑)

(西首塚)

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