松野氏館

松野氏館(御蔵陣屋とも★埼玉県さいたま市見沼区御蔵

『埼玉の中世城館跡』(第2版)は、江戸初期の陣屋跡で、「御蔵陣屋1366」を所在地とし、現況は宅地・山林・畑、台地で、遺構は堀・土塁と記している。

標高18mの台地上に位置し、かつては三方に湖沼が入り込む天然の要害地だった。岩槻太田氏の家臣・松野氏が居城していたと伝えられ、天正十八年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めの際に、松野氏は主君・太田氏に従って防戦したが敗れ、秀吉の軍門に降った。同年8月、徳川家康の関東入国後、松野氏は徳川家に仕え、旗本として旧領の御蔵村を賜り、館跡に陣屋を構えた(『現地説明板』)。

『新編武蔵風土記稿』は、正保年間に松野佐五右衛門が知行を受けた地で、その後も子孫が領していたと記す。

『埼玉県史』は、奈良平安時代の屯倉の跡で、「御蔵」の語源になったと推察している。また、『戦史ドキュメント川中島の戦い』(平山優)によれば、後北条氏が設けた兵糧の貯蔵場を「御蔵」といったという。

『埼玉苗字辞典』によれば、松野氏は那須郡松野村(馬頭町)出身で、『寛政重修諸家譜』に「宇都宮頼業が二男時業・松野を称す」と記されている。 

『大宮市史』によれば、松野氏の館跡で、付近には「陣屋前」の小字もあって後陣屋が存在した。雑木林に方形の土塁と堀が残っていたが館の規模は不明だったという。 

現地は「鎌倉公園」となって説明板が充実している。しかし近年まで残っていた遺構は隠滅して住宅地と化している。

 

 

『大宮市史』より)

 

(【左写真】現地は鎌倉公園となっている。【右写真】かなり広い公園である。遺構は見られない。)

 

(【左写真】周囲を見渡す高台になっている。【右写真】遺構があったとされる場所。)

 

  (2016/1/3訪問)

戻る

城と古戦場 

inserted by FC2 system