土呂陣屋

土呂陣屋★埼玉県さいたま市北区土呂)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)は、戦国末期の館跡で、「土呂町1519」を所在地とし、現況は宅地・畑・山林、台地で、遺構は堀・土塁と記している。

甲斐武田家臣の初鹿野(はじかの)氏は徳川時代に当所を領した(『寛政重修諸家譜』)が、その陣屋跡だとされている(『新編武蔵風土記稿』)。

瞥見では、『大宮市史』に陣屋の詳細な記載は無い。

『埼玉の中世城館跡』(第2版)は詳細記事を設けており、近年まで4つの郭があり、土塁・空堀が断片的に残っていたという。その構造から中世城郭の跡に陣屋を構えたものと推察している。

『埼玉苗字辞典』には、初鹿野氏について、「足利郡葉鹿村は初鹿とも書く、土師鹿ノに同じ。大宮、川口、新座、春日部、所沢、富士見等に存す。山梨市十五戸あり。」と書かれており、当村に限った記述は無い。

近年まで地蔵堂があって説明板も設置されていたようだが、現在は大幅に開発が進んでいる。北端には土塁痕が残っている。また郭付近の雑木林には土塁紛れの地形があるが、遺構なのかは判別がつかない。

 

(『埼玉の城館跡』(第1版)の概略図。現在はかなり地形は改変されている。)

 

(地蔵堂があった場所。完全に消滅している。)

 

(【左写真】付近の遠望。開発が進んでいる。【右写真】前葉の雑木林の中の土居。民家の土塁と思われ、遺構かは疑問。)

陣屋の北端に残る土塁跡。しかし早晩、消滅してしまうかもしれない。)

 

  (2016/1/3訪問)

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