中釘陣屋

中釘陣屋(指扇陣屋・山内堀之内城とも★埼玉県さいたま市西区指扇・中釘)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)は、江戸初期の陣屋跡で、「中針(なかくぎ)929」を所在地とし、現状は宅地・畑・山林、台地で、遺構も無いと記している。

同1版(『埼玉の城館跡』)は、台地で面積は不明、遺構は無しとし、築造は元和9年、山内一唯、地名として「陣屋耕地」「大手」「本屋敷」「花屋敷」「家老屋敷」等が残ると記す。山内氏が江戸初期から四代豊房が土佐山内家を継ぐまで領したという。

大坂の陣で軍功のあった土佐藩主・山内忠義の実弟・一唯が、元和九年(1623)に徳川秀忠から拝領したという(『妙玖寺説明板』)。

残念ながら周辺は耕作地となって遺構はまったく失われたらしい。跡地は秋葉神社の西側とされ、北側の妙玖寺には山内一唯と一族の墓所がある。

 

 

(『埼玉の中世城館跡』より。)

  

(【左写真】陣屋跡地。見事にすべて失われている。【右写真】陣屋に隣接する秋葉神社。かなり立派な神社。

  

(【左写真】妙玖寺【右写真】妙玖寺の一族の墓所。

 

  (2016/1/3訪問)

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