丸ケ崎館

丸ケ崎館(★埼玉県さいたま市見沼区丸ケ崎)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)は、戦国時代の館跡で、「丸ケ崎981」を所在地とし、現状は宅地、台地で、遺構は堀・土塁と記している。

『日本城郭大系』は「堀の内」として掲載し、空堀が残るとしている。
大久保陣屋に隣接している。

『大宮市史』は、「遺構は現在金子氏宅となっており、背後の雑木林と竹林の中に土塁と空壕が残っている。二重の土塁と空壕が比較的原形に近い形で残っており、二重土塁は馬蹄型で、その断面はM字型をしており、市内では珍しい。」とし、さらに「記録・伝承ともに失っており、だれの居館であったのか不明であるが、金子家は家号を「堀之内」と言い伝えられており、おそらく岩槻太田氏関係の武士の館であっただろう。岩槻の家臣に金子紀伊守というのがある。この紀伊守は落城の際、脱出して鴻巣あたりに隠れたと伝えられるが、この金子氏との関係も考えられなくもない」と記している。

丸ケ崎について、『武蔵国郡村誌』は「享禄の頃、岩槻城本丸先きの原野なりしが、その後、開墾し、天正二十年、小縄打検地ありて、箕輪郷を分かち、丸ケ埼と称すと云々」と記している。

近年まで良好な遺構が残っていたらしいが、私有地は分譲されて、大きく改変されている。すでに遺構は隠滅してしまった。


  

(『埼玉の中世城館跡』より。12-1が大久保陣屋。12-15が丸ケ埼館。)

 

(1974年と現在の航空写真の比較)

 

(『大宮市史』より)

  

(【左写真】跡地は区画整理されており、ここに古い石碑が倒れている。館跡にあった神社の碑だろうか?【右写真】館跡。すっかり宅地が進み遺構は無い。さらに風景は変わってゆくだろう。)

(近くに「火の見下」という、それっぽいバス停が付近にある

 

  (2016/1/3訪問)

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