三ツ木城

三ツ木城(★★★埼玉県桶川市川田谷)

三ツ木城は、現在城山公園となっている低地に突き出た台地上に存在する。城跡の東・南・北の三方は湿地に囲まれ、南方を底辺として北端を頂点とする三角形の囲郭を成し、東西120m、南北110mの規模の平山城である。現在残されている遺構は、内外二重の土手の様な土塁が造られ、土塁の間には水堀が掘られている。また城跡の西南隅と内側の土塁の北側は広くしかも高くなっているので、物見櫓の様な施設があったと考えられる。城の大手口と考えられる南側は、土塁か一重確認されるのみだが、かつては深い堀があったと推定される。居住者については、鎌倉時代に源頼朝に仕えた足立右馬充遠元、あるいは室町時代に岩槻城太田氏に仕えた石井丹後守とする説もあるが、いずれも定かではない。また最近の研究では14世紀に築城されたものとされている。昭和44年に埼玉県指定の重要遺跡に指定されている(『現地説明板』)。

『新編武蔵風土記稿』は、無量寺の縁起を引用して足立右馬充の説があること、また石井丹後守の説も載せているが、「いづれも定かならず」と記している。

『旧埼玉県史』は、遺構から戦国期の築城としている。

城は「城山公園」の一角の雑木林に位置している。荒れているが、遺構は大変良好に残っており、大規模な堀・土塁、郭が見られる。埼玉平野としては奇跡的に残された本格的な城郭である。

公園の一角に説明板があって。その背後が城址。遊歩道などは無い。民家に隣接しているので配慮が必要。

(参考サイト:余湖くんのホームページ儀一の城館旅

 

 

(『埼玉の中世城館跡』掲載の図)

(現地説明板)

 

(【左写真】堀跡。そのままに残っている。【右写真】虎口らしき開口部もある。)

 

(【左写真】土塁。それなりの高さで防御力はある。【右写真】土塁の上には櫓でもありそうな平地も見られる。)

 

(【左写真】本郭。土塁が四周している。【右写真】土塁の残片なのか、櫓跡なのか。かなり高い土塁も。)

(土塁の角度は現在でも鋭さを保っている。)

 

  (2016/3/20訪問)

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城と古戦場 

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