泉福寺館

泉福寺館(★埼玉県桶川市川田谷)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)は、年代不詳の館跡で、「川田谷2012」を所在地とし、現状は寺院・水田、台地で、遺構は堀と記している。

泉福寺は、比叡山延暦寺を総本山とする天台宗の別格寺院である。開祖は、平安時代にさかのぼり、天長6年(829)、淳名天皇の勅願によって、慈覚大師円仁が開山した。草創当時は広大な境内に堂塔伽藍が立ち並び、多くの塔頭を擁し、盛況の中にあったが、源平の乱に於いて戦火を被り、全てを焼失した。その後、鎌倉時代の文暦元年(1234)比叡山より信尊上人が来院され、河田谷殿の庇護のもと四人の弟子と共に復興に努力され、中興を成しとげた。
しかし、戦国時代の争乱の中で度重なる火難を受け、堂塔伽藍を焼失した。江戸時代に至り、勅願寺の故を以って幕府の庇護を辞退する中にも、その由緒により、御朱印地五十石の内の五石と、不入地四万坪のみを拝領するところとなり、堂塔も次第に整備され、宝暦2年(1752)には、山門、鐘楼を除き殆ど完成されるに至った。現在の建物は大体この時代のものである(『現地説明板』)。

荒川を見下ろす城館向きの立地である。『埼玉の中世城館跡』の「堀」というのはよく分からないが、仏閣としては素晴らしい史跡である。戦国期に城砦・陣所として転用された歴史があるのかもしれない。

(参考サイト:儀一の城館旅

 

 

(【左写真】由緒ある素晴らしい寺院である。【右写真】荒川を見下ろす城館向きの立地である。)

 

  (2016/3/20訪問)

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