倉田孫四郎館

倉田孫四郎館(★埼玉県桶川市倉田入谷)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)は、年代未詳の館跡で、「倉田入谷809」を所在地とし、現状は畑・山林、台地で、遺構は堀・土塁と記している。

『新編武蔵風土記稿』は、「法恩寺(越生町)は文治年中、当所の令たりし倉田孫四郎基行と云者、出家して瑞光坊と号し、其妻を妙泉尼と称せしが、当寺再興のことを右大将頼朝へ願ひしかば、頓て越生次郎家行に仰せて堂塔以下旧の如く造営ありしと、時に建仁元年(1186)のことなり。小名倉田は村の西南によりてあり。按に法恩寺年譜録に云ふ、倉田孫四郎基行は当郡の刺史児玉武蔵守惟行の家弟たるにより、後倉田の邑に退隠すと。倉田はもし此地のことにや、されど隣郡足立に倉田村あれば彼村なりしも又知べからず」と記し、当村に武蔵七党の児玉党・倉田孫四郎という人物がいたことを伝えている。

しかし『法恩寺年譜録』には疑問があるらしく、「所以ありて、倉田の邑に退隠すと見え、この所ならんには旧き地名なり」とも記している。

『埼玉苗字辞典』によれば、倉田氏は現存しておらず、地名からの牽強付会で、館跡と倉田氏は無関係だとしている。

現地は雑木林となっている。祠があり、堀らしい溝や微高地が見られる。どこまでが遺構なのかはよく分からない。

(参考サイト:儀一の城館旅


 

(館跡の遠望)

 

(【左写真】祠が祀られている。【右写真】堀跡だろうか、溝が何かを区画しているように見える。)

 

(【左写真】郭はかなりの広さ。【右写真】起伏のある地形になっている。どこまで遺構なのだろうか。)

 

  (2016/3/20訪問)

戻る

城と古戦場 

inserted by FC2 system