上峰陣屋

上峰陣屋(上峰の陣屋とも★埼玉県さいたま市中央区上峰2丁目)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)は、江戸初期の陣屋跡で、「上峰12丁目」を所在地とし、現状は宅地、台地で、遺構は堀と記している。

『与野市史』は、「徳川家康の謀臣として名高い本多佐渡守正信の陣屋」との伝承があるが、疑いなきを得ないと述べ、「その根拠は現在なお実証できない」という。正信は玉縄城を居城としており、当地に拝領を受けた史料は見当たらないとし、『円福寺文書』に家康入部に伴って手当たり次第に堂宇を破壊して陣屋にしたと記されているが、これは寺の荒廃を本多氏に転嫁した事実無根の話しだという。

また一説に「昔、西の大久保方面から敵の来襲があって城兵は防戦したが落城した」という伝説があり、この説では本多氏は無関係だという(『与野市史』)。

『与野市史』は、遺構は古くに消滅したとしている。
諏訪神社あたりが跡地のようで、起伏のある要害の地形だが、いま遺構は残されていない。


諏訪神社あたりが跡地だが遺構は残されていない。

 

  (2016/4/29訪問)

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城と古戦場 

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