木曽義仲館

木曽義仲館(★ 長野県木曽郡木曽町日義)

幼名を駒王丸と名付けられ、養父中原兼遠によって育てられた。

義仲公は、このあたりの平地に城をかまえ八幡宮を祭ったと伝えられている。十三歳にして元服。木曽次郎源義仲と改め、治承四年(1180)一千余騎を従え、ここに平家打倒の旗揚げをした。時に義仲二十七歳であった。以後、旗挙八幡宮と呼ばれている。

(『旗挙八幡宮由来』より)

館跡は旗挙八幡宮となっており遺構はないが、歴史上意義深い地であることに違いはない。


(旗挙八幡宮)

館跡裏手は崖になっている。)

 

2016/6/18訪問)

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城と古戦場 

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