中原兼遠屋敷

中原兼遠屋敷(★ 長野県木曽郡木曽町新開上田)

木曽川と正沢川・天神川に囲まれた南北百五十メートル、東西約六百メートルに及ぶ河岸段丘上の自然の城塞をなすこの要害の地は木曽義仲の養父中原兼遠の館があったとされています。貝原益軒の「岐蘇路記」には「宮の腰より一里下に上田と云所あり、兼平が父木曽の仲三兼遠が屋敷の跡あり、木曽義仲の父帯刀先生義賢、悪源太義平に殺されし時、義仲二歳なりしを、母抱て信濃にくだり木曽の仲三兼遠を頼しかば、兼遠養育してひととなりぬ…」とあり、義仲(駒王丸)はこの家で十三歳の元服をむかえるまでの幼少年期をかくまわれて過ごしたといわれています。正面の古松は義仲元服の松と呼ばれ、水田の中の竹林には兼遠塚の碑があります。

(『城址案内板』より)

私有地の畑の中に屋敷跡の案内板と義仲元服の古松があるのみで遺構はない。


(義仲元服の松のみ残る) 

 

  (2016/6/18訪問)

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城と古戦場 

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