善仲寺館
善仲寺館(古尾谷城、古谷氏館とも★★埼玉県川越市古谷上) 『埼玉の中世城館跡』(第2版)は、室町時代の館跡で、「古谷上堀ノ内4136」を所在地とし、現状は宅地・畑・水田・寺院、自然堤防で、遺構は堀・土塁と記している。 同1版は「善仲寺の開基は中筑後守資信で、主君古尾谷殿の為に、古尾谷氏城跡に寺院を建立したという。古尾谷氏は鎌倉時代から源氏に属した武士で、南北朝時代には足利尊氏に従って大いに活躍した行部大輔などがいる。この居館の築造年代は不明だが、初め古尾谷氏の居館であったものを戦国時代に家臣の中筑後守が拠ったものであろう。」と記している。 善仲寺の開基は中筑後守資信で、主君・古尾谷氏のために、その城址に寺院を建立したという(『善仲寺鐘銘』)。古尾谷氏は鎌倉時代から源氏に属した武士で、その居館を戦国時代に中筑後守が改修したものと推定している。 『川越市史』は、古尾谷氏は鎌倉の御家人で、断片的に古文書に現れるが来歴は明らかではなく、家臣・中氏との関係も混同されて真相はつかみにくいと記している。 善仲寺の裏手の雑木林に良好に遺構が残されている。全体像は掴みにくいが、入り組んだ土塁と空堀、虎口らしき地形が見られ、一部には桝形といわれる場所もある。 ただ、私有地であるので訪問には十分な配慮が必要であろう。 |
(【左写真】『埼玉の中世城館跡』掲載の地図。【右写真】『川越市史』掲載の地図。)
(城址である善仲寺)
(【左写真】藪の外側に見られる堀らしき地形。【右写真】雑木林の中の空堀・土塁。)
(【左写真】空堀の接続部で、桝形らしき虎口にも見える。【右写真】土塁の上は郭にもなっている箇所がある。)
(2016/5/7訪問)