広谷南城

広谷南城(宮廻館、字宮廻り所在の遺構とも★★埼玉県川越市下広谷)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)には、「宮廻館」として、戦国時代の館跡で、「下広谷字宮廻」を所在地とし、現状は台地・山林・畑で、遺構は土塁・堀・掘立建物跡と記している。ただし分布図には広谷宮前城の場所に「広谷南城」との名称が記載されている。

『埼玉の古城址』(中田正光氏)には「広谷南城」との名称で紹介されている。この付近には複数の城館が存在しており、混同してわかりづらい。

『新編武蔵風土記稿』には、地域に、土塁・空堀の残る「下広谷村古跡三ヶ所」があって、「土人城の跡と唱えて何人の居跡なるを伝えず」と記されている。
この三か所の遺跡が、現在のどの遺構に当たるのかは明確でない。

発掘調査によれば14ないし15世紀の館跡と推定されるが、歴史等は一切不明である。

圏央道の南側に所在している。竹林となっており、公道からでも複数の空堀や土塁状の地形が確認できる。私有地なので訪問には配慮を要する。

(参考サイト・城郭図鑑 そこに城があるから 城跡ほっつき歩記 埼玉の古城址

 

 

右は『埼玉の中世城館跡』(第2版)掲載の分布地図。19-3が大堀山城を示している。)

 

(【左写真】空堀らしきもの。土塁を組み合わせたように見える。【右写真】空堀らしき地形。断片的で全貌は不明である。)

 

(【左写真】かなり広い平場。郭だったのだろうか。【右写真】公道脇の土塁状の地形。)

 

(城址遠望

 

  (2016/5/7訪問)

戻る

城と古戦場 

inserted by FC2 system