広谷北城
広谷北城(某館とも★埼玉県川越市下広谷) 『埼玉の中世城館跡』(第2版)には、戦国時代の館跡で、「下広谷戸宮前」を所在地とし、現状は山林・工場、台地で、遺構は堀・土塁と記している。 同1版は「某館」として掲載しており、「川越市下広谷宮前420・421番地で、私有地(川越市下小坂、福島角次郎ほか)、長方形約19800㎡(約5780坪)、土塁・空堀共よく残っている。水堀はない。築造年代南北朝時代(推定)、城主・居住者不明、文献・絵図新編武蔵風土記稿・武蔵国郡村誌・入間郡誌(以上公刊)、新記、郡村誌の高麗郡下広谷村の項に古跡ケ跡と所載されるもので、該当は第2項若しくは第3項のものと思われる。築造年代、築造者、居住したもの一切不明」と記されている。 『日本城郭大系』は、縄張りは全体に不明の部分が多く、築造年代・居住者ともに不明だが、大堀山館と同年代とみられると記している。 『新編武蔵風土記稿』は、地域には、遺構の残る「下広谷村古跡三ヶ所」があり「土人城の跡と唱えて何人の居跡なるを伝えず」と記している。この三か所の遺跡が、現在のどの遺構に当たるのかは明確でない。 『埼玉の中世城館跡』『埼玉の古城址』(中田正光氏)によれば、馬出状の食い違いの土塁があったようだが、今は跡形もなく消え去っている。 当遺構の来歴も一切不明である。雑木林の中に空堀らしき地形が認められるものの、断片的で明瞭とは言えない。 |
(右は『埼玉の中世城館跡』(第2版)掲載の分布地図。19-3が大堀山城を示している。)
(『埼玉の中世城館跡』(第1版)掲載の概略図と『日本城郭大系』掲載の概略図)
(【左写真】雑木林になっている。【右写真】空堀状の地形。かなり埋まっているが遺構なのだろうか。)
(【左写真】空堀は折れを持っている。【右写真】城址外観。)
(2016/5/7訪問)