大堀山館

大堀山館(★★★埼玉県川越市下広谷)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)には、室町・戦国時代の館跡で、「下広谷牛原南」を所在地とし、現状は山林・宅地、台地で、遺構は堀・土塁と記している。

同1版は「平地 正方形 約30240㎡(約9160坪)新記、郡村誌の下広谷の項に古跡三ヵ所として、記載されているもので、通称大堀山と称している。築造者・築造年代・居住者とも一切不明である」とする。

『新編武蔵風土記稿』は、地域には、遺構の残る「下広谷村古跡三ヶ所」があり「土人城の跡と唱えて何人の居跡なるを伝えず」と記している。その中心の遺跡と考えられる。

『日本城郭大系』は、「全体が同時期に築造されたもので、河越氏一族が応安元年(1368)に河越館を中心として「武蔵平一揆」を起こし、室町幕府の鎌倉公方に抵抗していることから、その前後に築造されたものと考えられる」と記している。

埼玉県の平野部ではトップクラスの遺構の残存度で、複数の堀に守られた館跡が良好に残されている。整備されておらず荒れている印象だが、大変貴重な城館跡である。

(参考サイト・城郭図鑑 そこに城があるから 城跡ほっつき歩記 埼玉の古城址


 

右は『埼玉の中世城館跡』(第2版)掲載の分布地図。19-3が大堀山城を示している。)

『日本城郭大系』掲載の概略図と現地説明板の図)

 

(【左写真】道路の北側の遺構。空堀が残っている。【右写真】道路の南側・本郭の空堀。)

 

(【左写真】空堀は折れを持っている。【右写真】空堀の先には城壁が待っている。)

 

(【左写真】外郭。それなりの広さを持っている。【右写真】付近の堀も雄大である。)

 

(【左写真】空堀を成す土塁上の状況。【右写真】本郭南側の堀。しっかりと四周している。)

 

(【左写真】一番広い郭。本郭で居住の地だったのだろうか?【右写真】二郭か。荒れているので歩きにくい。)

 

(四周する空堀の北側には土橋がある。遺構なのだろうか?

 

  (2016/5/7訪問)

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