広谷宮前城
広谷宮前城(某館とも★埼玉県川越市下広谷) 『埼玉の中世城館跡』(第2版)には、戦国時代の館跡で、「下広谷字宮前」を所在地とし、現状は山林・台地で、遺構は堀・土塁と記している。 同1版は「台地 正方形 120000㎡(約3600坪)土塁・空堀共よく残っている。水堀はなし。「新記」・「郡村誌」に古跡3か所「土人城の跡と唱えて何人の居跡なるを伝えず」と記載されている。該当記事の一つで、一番東方に所在する。築造年代、築造者、居住者等一切不明。」とする。 『新編武蔵風土記稿』は、地域には、遺構の残る「下広谷村古跡三ヶ所」があり「土人城の跡と唱えて何人の居跡なるを伝えず」と記している。 『日本城郭大系』は、南に大手を構えた館で、築造年代・居住者ともに不明だが、大堀山館と同年代とみられると記している。 大堀山館の東方すぐに所在している。鬱蒼とした雑木林になっているが明瞭な空堀の遺構が確認できる。断片的で全体像は把握できないが、広大な城館だったものだろう。 |
(右は『埼玉の中世城館跡』(第2版)掲載の分布地図。19-3が大堀山城を示している。)
(『日本城郭大系』掲載の概略図)
(【左写真】雑木林の中に空堀が残っている。【右写真】土塁と空堀の組み合わせに見える。)
(【左写真】空堀はそれなりの規模を有している。【右写真】郭か。雑木林で整備はされていない。)
(2016/5/7訪問)