砂久保陣場

砂久保陣場(砂久保陣屋とも★埼玉県川越市砂久保)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)には、戦国期の陣屋跡で、「砂久保見付66」を所在地とし、現状は畑・宅地・神社、台地で、遺構は無いと記している。

同1版は、稲荷神社が跡地で、「河越夜戦の上杉憲政の陣所。天文14年上杉憲政が川越城奪回を企て8万の大軍を従えて川越城守将北条綱成に対して設けた陣所で、綱成の手勢わずかに3千人で防戦すること8か月、北条氏康の援軍8千人が砂久保の憲政の陣を急襲し、これを敗走せしめた合戦の場でもある。」とする。

『現地説明板』によれば、川越合戦において、天文十五年四月十七日に出陣した北条氏康は砂窪(砂久保)に着陣し、四月二十日、上杉憲政がここに攻めかかったが、氏康はこれを撃退し、さらに城内から北条綱成らが撃って出て大勝利を得たという。『埼玉の城館跡』と逆の記述になっている。

同じ状況は「北条氏康書状」(『北条記』『歴代古案』所収)に記載されており、『現地説明板』が正確らしい。しかしこの書状も検討の余地があるようだ(余湖くんのホームページ)。

現在の稲荷神社あたりが陣所だったらしいが遺構は残されていない。

 

 

跡地の稲荷神社。右は『埼玉の城館跡』掲載の写真。

 

  (2016/5/7訪問)

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