今成屋敷

今成屋敷(★埼玉県川越市今成町)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)には、戦国末期の屋敷跡で、「今成町1056」を所在地とし、現状は宅地で、遺構は無しと記している。

同1版は「新記によれば旧今成村の安楽寺に続いた所が今成屋敷のあったところで、川田備前守今成が住んでいたという。この今成は北条新九郎の子孫だというが、新九郎が北条早雲または氏綱のいずれを指すのか不明である。また江戸時代末期にさらにその子孫だといわれる百姓喜太夫が住んでいて、三つ鱗の家紋だったという。昔は今成の小名に「川田」があったようだが、現在この小名は残っていない。いずれにしても今成は今成村を最初に開墾した者だと考えられ、戦国時代と推定される。現在、今成町という地名だけが存在する。」と記し、遺構は不詳としている。

『新編武蔵風土記稿』は「相伝ふ、昔川田備前守今成と云人、爰に来りて開墾せし故に其名を以て村に名づく。今成屋敷蹟、村の西にあり、当村を開墾せし川田今成が居住せし所なり。此今成は備前守と称し、北条新九郎が子孫なりと云伝ふ、新九郎は早雲なるか又氏綱なるや詳ならず。今に農民喜太夫なる者は其子孫なりとて爰に住せり、尤川田を氏として三ツ鱗を家の紋とす。又云、川越蓮声寺の開基大道寺駿河守が伯母蓮声尼・此所に寄留せしと、是北条の縁家なればにや兎角詳なることを知ず」と記している。

『入間郡誌』は「永禄の頃、北条長氏の孫川田今成・本村を開墾し、天正三年九月熊野社を勧請す。元禄三年、川田平左衛門・村民と計り祠宇を改造す。今成屋敷蹟は安楽寺の東に続きたる川田備前守今成居住の地也。其子孫久しく此処に住したりしも、近年川越町に移れり」としている。

『埼玉の神社』は、今成熊野神社の縁起について、「川田今成が当所に入った時、川越の連雀町にある蓮馨寺を宿とした縁から寺の守護神として祀られていた熊野神社を、当地に川田屋敷を建築した際分霊したことによるという。一説に天正三年九月紀州熊野神社を今成屋敷内に勧請し、更に現在の地に移して村の鎮守としたともいう。」と記している。

これらから、屋敷跡地は安楽寺から熊野神社の辺りだと推測されるが、詳細は不明で遺構も見られない。

(参考サイト・城郭図鑑 そこに城があるから 城跡ほっつき歩記 埼玉の古城址

 

 

熊野神社。もともと川田氏が屋敷内に勧請したものだとされる。

 

  (2016/5/7訪問)

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