在家遺跡

在家遺跡(ざいけ★埼玉県上尾市平方)

『埼玉の中世城館跡』『埼玉の城館跡』に記述はない。

『上尾市史』は「広域に発掘された在家遺跡は、「在家」という地名から、中世の屋敷やそこに住む農民の集合地であると考えられる。幅広い洪積台地の中央に30m幅の谷が入り、土地利用が三区分されている。
北の区域は、縦横に大小の堀や溝が規則的に区画を形成し、その中にピットや土墺・竪穴状遺構がある居住区である。中央の区域は、北と南の区域の堀や溝が流れ込む「境」区である。南の区域は、広々と一つの区画として利用した生活感の乏しい台地である。
このような在家遺跡は、有力豪族の居宅と、土地区画地内に住む郎党達の住居があった、この地域を掌握する拠点であろう」と記している。

丸山団地付近が跡地である。丸山周辺は原風景を残す良い地域だが、遺構は見ることができない。

(参考サイト・儀一の城館旅

 

丸山地域。遺構は遺されていないが原風景は残されている。)

 

  (2016/9/23訪問)

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