上溝城

上溝城(かみみぞ・丸山城とも★神奈川県相模原市中央区横山)

正応年間(1288-1292)、北条氏御家人の横溝五郎太夫が「丸山」と呼ばれた地に築城したとの伝承がある。「丸山」は上溝中学校一帯に比定され、野球場付近に城郭、プール付近には的場があり、榎神社付近に鷹番塚があった。昭和初め、上溝中学校下のガソリンスタンド背後の子道に石畳が発見された(座間美都治著『相模原の歴史』昭和49年)。

『日本城郭大系』は「上溝堀の内」という城館を掲載し、「堀の内、中丸、丸崎、加地子の地名が残る」とのみ記載されている。地理的に上溝城とは別の史跡と考えられるが、「丸崎」は「上溝城の城外れである」という伝承もある(『相模原の歴史』)

すぐ崖下には、1980年頃まで、「馬場池」(婆池・ばばいけ)と呼ばれた広大な池も存在しており、当地が水源豊かな立地であることが分かる。

跡地は上溝公園、上溝中学校周辺とされている。当地は相模川に沿った3つの河岸段丘(上段 中段 下段)の上段と中段を分ける侵食崖の上に位置し、要害の地形だが、遺構は皆無である。

 

 

周辺の散策マップてるて姫の里 ロマン探訪の小路)にある図。上溝城の表記がある。)

  

(跡地という上溝公園。周囲は崖で、田名を見下ろす要害の地ではある。)

ダイエー上溝店の裏手には、1980年頃まで「馬場池」「婆池」(ばばいけ)という広大な池も存在していた。)

 

 

  (2016/12/27訪問)

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城と古戦場 

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