片山氏館

片山氏館(★埼玉県新座市堀ノ内)

『埼玉の中世城館跡』『新座市史』に記載は無い。

『丹波片山文書』の弘安三年(1280)文書には、「平万歳丸、早く丹波国和智庄・武蔵国片山郷の内別所、道円知行分等を領知せしむべき事。右、亡父親基法師法名道円の譲状に任せ、かの職のために先例を守り、その沙汰を致すべし云々、弘安三年十月十八日」と記されている。

『志木市史』は、『片山家系図』等から平万歳丸を片山盛親の事とし、新座郡片山郷の開発領主として、当地を苗字とする鎌倉御家人片山氏が存在していたとする。また『志木市史』は、片山氏は、治承四年(1180)、源頼朝が武蔵国に侵攻した際に従属し、以後、御家人として仕えたと推測している。

『丹波片山文書』にいう「別所」と、それに対する「本郷」の場所は不明である。

『志木市史』は、片山氏の居館について、「近世の地誌や伝承にもそれを示すものはなく、片山氏の存在すら伝えていない。中世の館の存在に由来する地名の「堀之内」からも、この地に片山氏居館があったと推定しうる。
ところが、「明治三年堀之内村絵図」等を見ても、小字等に館関係の地名遺構を見出せないため、現在の堀ノ内一丁目付近に居館があった可能性を指摘する以上のことはいえない」と記している。

 

 

堀ノ内橋から。堀ノ内一丁目付近に居館があった可能性を指摘する以上のことはいえない。

 

  (2016/12/22訪問)

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