藤沢城
藤沢城(茨城県土浦市藤沢)は、新治郡新治村大字藤沢の城の内にあった。 丘陵地であり、面積約9900u、東西500m×南北500mの規模で、北方には一条の通路があり、他の三方には空堀をめぐらしていた。 藤沢城は、南北朝時代から戦国時代の終わりまで小田城の支城であった。小田城の政務所とも伝えられている。 天正二年(1574)常陸片野城にいた太田三楽斎資正によって小田城は攻められ、氏治はまた藤沢城に移ってきたが、その後、再び小田城を奪い返した。 『日本城郭大系』では心もとないので、「埋もれた古城」を参考に訪城。主郭部は民家の畑となっており解説板も何も無い。周辺の住宅地に土塁が散見される程度である。 |
(跡地の航空写真)
(【左写真】主郭跡(畑となっている) 【右写真】主郭(左)西側の堀跡 )
(【左写真】主郭土塁(手前が堀跡) 【右写真】主郭土塁(民家に残る)
(【左写真】神宮寺(二郭)に残る土塁 【右写真】中城(三郭)左側に土塁が残る)
(精泉寺裏に残る外郭土塁)