野火止陣屋

野火止陣屋(のびどめ★★埼玉県新座市野火止)

『埼玉の中世城館跡』に記載は無い。

野火止用水陣屋堀 松平信綱は、江戸の上水道について、福生市の北の羽村町から小平市を通り、四ッ谷大木戸を経て虎ノ門に至る掘割り(玉川上水)を完成させ、その功労と武蔵野開発を理由に、玉川上水分水の許可を得て、小平市小川町から新座市を経て、志木市の新河岸川に至る用水を引き、野火止の荒野を潤した。
宝永元年(
1704)高崎城主松平輝貞(松平信綱の孫)が加増を受け、平林寺前に陣屋が置かれた。
陣屋は、高崎城主が旧大和田地区の知行のためと、平林寺を守るために武士を住みつかせたもの。野火止用水は、新座市内に入り四本に分流し、陣屋堀は、陣屋に住む武士の人々の生活水として開削された。陣屋堀や平林寺堀は、地形の関係から築堤して用水を引き入れ、築堤は赤土(関東ローム)や黒土・粘土などを交互に積み重ね、固めたところに堀を開削した強固なもので漏水しないよう配慮されていた(『現地説明板』)。

『日本城郭大系』は「陣屋」として掲載し、「遺構は残されていない。現在、宅地などになっている」と記している。

全体像は把握できないが、住宅地・畑の中に土塁(築堤)が遺されており、説明板も設置されている。平林寺沿いの睡足軒に見られる物も土塁らしいく、こちらが陣屋跡とされる。

 

 

用水路跡という築堤が一部遺されている。セットの掘割というのは良く分からない。

陣屋跡である平林寺沿いの睡足軒にも土塁跡が残る。)

 

  (2016/12/22訪問)

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