白子城山
白子城山(★埼玉県和光市白子) 『埼玉の中世城館跡』(第2版)は、年代未詳の城で、「白子城山」を所在地とし、現状は宅地・畑、台地で、遺構は堀と記している。 『日本城郭大系』に記載は無い。『和光市史』には城館の項は無く、記載は見られない。 永正元(1504)年、立河原の戦いで上杉顕定が江戸城を攻める際に「武蔵国白子」に布陣している(WIKI)。この時に使用された陣城と推測されているが、確証はない。 「城山遺跡」として発掘調査された。白子川左岸の台地上に位置し、白子小学校校庭を含む周辺が遺跡範囲で、発掘調査により弥生時代の住居跡や平安時代の住居跡のほか中世の堀と見られる溝が数条検出されている(「和光市教育委員会生涯学習課・文化財保護担当・和光市 歴史の玉手箱」)。 現地は入り組んだ道路となっている台地で「城山坂」などの地名を伝えている。 |
(城山遺跡の図。中世の堀が検出されたという。)
(台地の淵に当たり崖地となっている。右は「城山坂」。)
(2016/12/22訪問)