柏の城

柏の城(★★埼玉県志木市柏町)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)は、戦国時代の城で、「柏3-2」を所在地とし、現状は学校・宅地・畑、寺院・台地で、遺構は土塁・郭と記している。

『廻国雑記』(文明十八-十九年・1486-1487)には「大石信濃守といへる武士の館」と記しており、その後、これを『武蔵志』『秩父日記』(ともに嘉永六年・1853)も採用している。

『舘村旧記』(享保十四年・1729)には「当初柏城、文明年中(1469-1486)の比田面長者の住居ありし跡を城に築きて大石信濃守殿居城となれり」とある。

永禄三年-四年(1560-1561)上杉謙信によって落城したとされている(『舘村旧記』)。
『新編武蔵風土記稿』は、天正九年(
1590)、後北条氏の家臣・大石越後守が柏の城にいたが、駿河国獅子浜城へ移動して豊臣氏に抵抗したものの開城して滅亡、同時に柏の城も落城したと記している。

『志木市史』は、『廻国雑記』は重要だが、それを除く「これらの文献はいずれも近世後半以降に編纂されたものであり、地元にも当時の記録は残されていないので不明な点は多い」としている。

小学校が本丸で、その東が二の丸、南が三の丸、長勝寺境内が西の丸と伝える。現在みられる遺構は大堀のわずかな窪みと土塁の一部のみだという(『埼玉の中世城館跡』)。

現地は小学校や宅地となって城の全体像は掴みにくい状況である。小学校南のマンション敷地に堀の名残が遺されている。周囲には標柱や説明板が複数設置されているが不審者に間違われないように散策したい。

 

(『埼玉の中世城館跡』掲載の概念図)

(現地説明板)

 

(小学校正門の標柱・説明板。ちょうど下校時間だった。右は南のマンションの大堀跡。そう言われればというレベル。)

(長勝院の桜。樹齢400年の生きる証人だという。)

 

  (2016/12/22訪問)

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城と古戦場 

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