鶴馬城

鶴馬城(殿山、宮崎氏館とも★埼玉県富士見市諏訪)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)は、戦国期の館で、「羽沢2-8-1」を所在地とし、現状は山林・学校、台地で、遺構は無しと記している。

『新編武蔵風土記稿』は「土人殿山と呼ぶ、高さ一丈許の丘にて廻りに堀の跡あり、砦など構へし所と見ゆ、爰も古の地頭宮崎氏の居跡なりと伝ふ」と記す。

徳川家康の関東入府に伴い、天正19 年(1591)多門成正が鶴馬村にを構え、同時期に、下鶴馬の地を知行した宮崎備前守が今の富士見台中学校の敷地に館を設けたと伝えられている。昭和63年の中学校造成で、台地の中央部で南北にクランク状の約2mの堀が発見されたが、今は全く面影をみることができない。戦国期に築かれた城の一部を、江戸時代初期に旗本の宮崎氏が陣屋として利用したものと思われる(『富士見市史』)。

鶴間諏訪神社裏からも堀が検出されており、城域はこの付近まで及んでいたものと推定されている(『富士見市史』)。

 

 

(『富士見市史』掲載の堀の写真と現況)

   

  (2017/5/8訪問)

戻る

城と古戦場 

inserted by FC2 system