勝瀬館

勝瀬孫六館(★埼玉県富士見市勝瀬)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)は、戦国期の館で、「勝瀬896」を所在地とし、現状は宅地、台地で、遺構は土塁と記している。

『新編武蔵風土記稿』には「北条役帳に勝瀬孫六 四拾三貫文 入東郡勝瀬之村の内とあれば、勝瀬氏世々此所を采地となし、因て得たる村名にや、又、地名をもて称号とせしか何にも古き名なるべし」と記す。

『富士見市史』は、「勝瀬村に館または城跡が存在したという地誌類の記述はない。しかし、土塁が存在し、部分的に屈曲した高まりや堀跡と思われる窪みが存在する地区があることから「勝瀬館」と仮称しておく。勝瀬村の名主であった塩野家から榛名神社の神主である鈴木家の屋敷裏にかけて、道に沿って部分的に欠けているもの、高さ80センチメートル、幅約5メートルの規模の土塁がほぼ直線的に残っている。」と記し、仮にこの地形を館跡だとすれば『小田原衆所領役帳』に「勝瀬孫六 四拾三貫文 入東郡勝瀬之村」と出てくる後北条氏家臣勝瀬孫六であろうと推測している。

付近には「鍛治海戸(垣内)・屋敷廻」との字名を伝えている。

榛名神社の周辺に遺構らしき地形が散在しているようだが、開発も進んでいる。すべて遺構だとすれば広大な館であったと思われるが、詳細は不明である。

 

  

(『富士見市史』掲載の土塁の写真と勝瀬交差点西側土塁のグーグルマップによる現況)

(榛名神社周りの土塁は消滅したようだった。)

   

  (2017/5/8訪問)

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