大久保城

大久保城(★埼玉県富士見市東大久保)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)は、年代不詳で、「東大久保」を所在地とし、現状など一切不明と記している。

『新編武蔵風土記稿』は「古城址 村の北川越往還の東側にあり。城址とのみ伝えり。何人の居城なりしや是れ荒神の塚天神の小社あり。」と記す。

『富士見市史』は「金子街道という地域で天神社のあった(現在は放水路建設のため移設されている)付近が城址であり、「金子街道」という小字名は難波田氏の祖先である金子氏からつけられた名称で、難波田氏が下南畑に移すまでここに住んでいたという意見(『富士見のさんぽ道』)がある。しかし、この古城は難波田氏の初期のものとするよりも、『小田原所領役帳』に記載されている大窪一族の館ではなかろうか」と記している。

『南畑村之沿革史』は「大久保村。小田原北条氏の領せし頃に大久保次郎左衛門尉道次・此の地に在りて天正十八年七月卒せり、或は同氏の地行地ならざりしか。今の鴻村文作氏の屋敷は其の大久保屋敷址なりと云う。地方の古き豪士も武を廃して農に改まる者甚だ多く、此の地に在りては大沢・丸山・新井・鴻村等は明かなる武士系なり」と記している。

「金子街道橋」などに地名を残しているが、遺構はない。

 

 

(1970年の地図と1985年の航空写真)

 

(金子街道との地名が遺された付近。遺構は皆無。)

   

  (2017/5/8訪問)

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城と古戦場 

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