五輪山

五輪山(★埼玉県ふじみ野市大井)

『埼玉の中世城館跡』(第2版)は、戦国期の館跡で、「大井西原」を所在地とし、現状は宅地、台地で、遺構は堀と記している。

『大井町史』は、江戸時代に大井宿の本陣を務め、新井帯刀の子孫とされる新井氏の墓所であり、寛永十一年(1634)の五輪塔があることからその名がつけられたとする。館跡とされ、昭和55・56年に発掘されたが遺構は検出されなかったという。しかし戦国期から墓所だった可能性があると記している。

『大井村郷土史』(大正八年(1919))は、「大井に大井四人衆という者あり、新井伊賀、新井織部、塩野大膳、小林出羽の四浪にして、相率て大井に来り、大いに土地の開発に努めたり」と記している。

『新編武蔵風土記稿』は、「旧家者代次郎、塩野を氏とす。古は新井氏なりしが郡中南畑村塩野某の子猶子となりしより、その氏を唱ふと云。家に小田原北条氏より出せる文書二通を蔵す」と記している。

その文書2通は現存しており、戦国大名北条氏から塩野庄左衛門尉(しおのしょうざえもんのじょう)・新井帯刀(あらいたてわき)など大井四人衆が、大井郷の責任者の名主に任命され、郷内の運営や未開地の開墾を行っていたことがわかるという(『ふじみ野市HP』)。

新井氏の屋敷の場所は特定されていないが、一説には本陣跡付近といわれている(『大井町史』)。

 

 

(五輪山。戦国期からの墓所であったのだろうか?)

  

  (2017/5/8訪問)

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