後藤氏館

後藤館跡(滋賀県東近江市中羽田町)は、近江守護・佐々木六角氏の重臣・後藤氏の在地居館跡である。

後藤氏の名は室町時代前期にあらわれ、六角氏の家老の位置にあった。

十六世紀中頃、後藤但馬守賢豊は六角義賢の信望を受けて権勢をふるったが、永禄六年(1563)義賢の子・義弼に謀殺された。
これが観音寺騒動の発端となり、六角氏は家臣団の信望を失い、やがて織田信長に滅ぼされる
(『現地案内板』)。

後藤氏館跡は、周囲に基底幅約11m、高さ約3mの土塁を築き、その外に堀を穿った単郭構造の館跡で、東西幅、東辺の長さ約100m、西辺の長さ約120mの変形四辺形プランを呈し、西辺土塁の中央部に正門が存した(『現地案内板』)。

当時の在地領主の館は、非常時に備えて土塁、板塀などの防御施設が設けられ、敷地内には主屋、納屋、蔵、厩などの建物が存した。当館跡の建物配置は定かでないが、昭和五十六年の発掘調査で井戸跡、厠跡、柵跡などが検出され、その位置から主要な建物は敷地内北部中央付近に存したと推定される(『現地案内板』)。

六角重臣の居館跡ということだが、水田にぽつんと石垣と土塁が残るのみである。しかし、大規模な遺構で、観音寺城と類似する貴重な史跡である。

 

(跡地の航空写真)

 

(現地案内板)

 

(一部に残る石垣。観音寺城と同じ形状である点がやはり興味深い。)

  

(【左写真】門跡 【右写真】大規模な土塁の痕跡 )

 

戻る

http://srtutsu.ninja-x.jp/

inserted by FC2 system